ノマドとは何か
ノマドとは
最近はやりのノマドワーキングという言葉。
Googleで検索して一番上に出てきたエントリーによると、
(以下、「ノマドワーキングとは」より引用)
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「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイル。満員電車や残業から開放され、自分の時間を増やす豊かな働き方として注目されている。
「ノマド」とは遊牧民のことであり、いつも決まった場所ではなく、カフェや公園、お客さんのオフィスなどでノートパソコン、スマートフォンなどを駆使しネットを介して場所を問わずに仕事を進めること。「サードプレイス」という自宅でもなく、オフィスでもない、第三の自分の居場所で仕事を行う新しいスタイル。
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とのこと。
TwitterやFacebookでも「ノマドとは何か」「本当に自由なのか」「生活していけるのか」といった論争がじわじわと広がりを見せている。個人的にはノマドワーキングというスタイルが広まることは非常によいことだと思っている。
その理由は「会社に勤めて、場所や就労時間など自分ではコントロールできないこともある要素によって様々なストレスを抱えたとしても、そこから逃れることはできない。もしそのuncontrollableな要素から解放されたくば、会社組織からの離脱、ひいては収入の激減を許容するということである」と考えている人に対して、「そのようないろいろなストレスとなる要素から解放された上で、自分の生活を維持するに足る収入を確保している人たちもいる」ということを知ってもらえるからだ。
自由とは何か
常見陽平氏のブログでも、ノマドは本当に自由なのかということが記されている。
尾崎豊とノマドワーカー 自由な生き方に答はあるか?
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会社に所属しない生き方が始まった。いつも、MacBook Airを持ち歩き、時間のあるときに、日本のどこかで原稿を書き、研究をしている。まるでノマドワーカーではないか。でも、やはり「自由になれた気がした」だけであって、「自由になった」わけではない。いつも原稿の締め切り、講義の準備、大学院の宿題に追われ、自分の存在が何なのかさえわからず震えている。
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と書かれている。確かに仕事上のいろいろな制約条件は消えてなくなることはない。仕事をしている上でこのような他者との関わりにおける短期的な制約は、仕事をして対価を得ている以上どうしても発生する。
ではノマドによって何の自由が得られるのか。
ノマドで得られる自由
ノマドを実践している人たちが得た自由とは、「ライフスタイルを自分でコントロールする自由」であると思う。もう少し詳細に書くと、「今日この仕事をやらないといけない」という短期的な制約からの解放ではなく、「この半年少し働きすぎたから、来月一ヶ月は自由に自分の時間を作ろう」などという類の中期的なライフスタイルの選択の自由である。
そのために必要となるのは、フリーランスとして会社に属さずに仕事を作っていける能力(スキル・人脈など)である。これを如何に確立するかということがノマドのキモだと思っている。これを確立するための方法論についてはまだ自分の考えがまとまっていないので、というよりもノマドを実践していない自分が語るべきものでないと思うのでここでは語らないが、
相当の苦労を伴うと想像するに難くない。このハードルを軽々と越えていける人は、全ビジネスパーソンの0.1%以下なのではないか。(数字については感覚値)
「選択できる」を知ること
持続性という意味で実はハードルが高いかもしれないノマド。ここまで至極当たり前のことを書いてきたが、なぜこんな記事を書いたかというと、日本社会の追い詰め感に対して少しでも異を唱えたかったからだ。
日本の自殺者数はここ10年以上3万人を超えている。
微減しているとはいえ、まだまだ大きい数字であることに変わりはない。この理由のうち、勤務問題を理由としている人は全体の9%と言われているが、最も多い47%を占めるのが健康問題で、このうち勤務問題に起因するものも中にはあるのではないかと思っている。
自分の身近に自殺者は出ていないものの、しばしば会社での出来事が原因で精神的、肉体的に病んでしまった人の話を聞くこともある。そんな人たちに対して、病む前に辞めればいいのになどと気軽に言うつもりは毛頭ないが、そういう環境に追い込まれてしまった人たちが、選択肢を知っていて、違う道に行けばよい、と考えてくれる瞬間があれば、また日本社会も変わっていくのではないかと、そんなことを思ってしまう。